come hell or high water.













 じゃあな。
 と、片手を上げ背を向けた皆守の腕を無意識に掴む。
 訝しげに振り返った顔が驚きに変わる前にその身体を引いて。
 ざあざあと降り注ぐ雨の音が消える。
 抱きしめた身体が小さく震えた。

「あと五秒でいいから…」

 溢れた声は滑稽なほど掠れていた。
 こんなことをしている場合ではない。というのは理解しているのに───腕の中の体温や頬に触れる濡れた髪や雨の中ですら香るような花の名残に何かが灼き切れる。

(どうして)
 
 何をしているんだろうと辛うじて冷静な部分が囁く。
 夏とはいえ衰える気配のない雨は身体から熱を奪っていく。
 むせ返るような水の気配と地面を叩く雨の音以外は何も聞こえない。

(どうやったら)

 はやく。
 せめて。

「俺がいなくても、」

 この、
 久しぶりに逢った友人だけでも───。

「……幸せでいて」
「───ッ」

 思いとは裏腹に滑り落ちる言葉はあらかじめ用意されたもので。
 何度も何度も。
 繰り返し。
 繕われた別れの言葉。
 だがそれも。

「───なんて無理だよ」
「く、ろう?」
「無理だよ無理無理なんで俺これが最後なんて思ったのかな」

 はぁああ〜と盛大な溜息をついて、皆守の肩に顎を乗せる。
 相変わらず雨は降ってるし濡れた服は少し気持ち悪いけど、抱きしめた身体の熱は好きだった。
 俺より少しだけ高い体温。
 眠い怠いカレーが口癖の冷めた言動の奥でひっそりと眠っていた皆守本人の気質のようで、時々、戯れあうように触れた温かさがただただ嬉しかった、けれどその温かさに触れることができなかった、あの頃のまま。

「ホントはこのまま仕事行こうと思ってたんだけど偶然八千穂に会ってそうしたら『じゃあ皆守君も呼ぶね!』とか言われちゃっていやでもまさか来るわけないだろうって思ってたのにお前来るし」
「そ、れは……」
「ああうんあれだ。マミーズの新作限定カレーと八千穂のスマッシュにお前が勝てるとは思ってなかったけど」
「……」
「相変わらずだるだるで眠そうでアロマでカレー好きで───ほんと、全然変わってなくて」
「……」
「なんつーか、このまま、なんにもなかったことにしてまたお前と清く正しいお付き合いはじめるのも悪くないかなぁ……って思ったんだけど」

 本当なら。
 
「やっぱアレなかったことにはできなくてつーかたぶん、俺は一生、お前のあの選択を赦さないけど」

 今ここにないはずの温もりを確かめるように強く抱きしめる。
 本当は。

「それでもやっぱりお前のこと好きなんだよあの頃からずっと、これからも」

 ずっとずっと、こうして抱きしめてキスしてぐずぐずになるまで溶けあいたかった。 
 はじめて会った時からお互いのことを少しずつ知って曝してただ傍にいたあの頃から。
 他愛のない会話の端々で悪ふざけの延長線上で、眠そうな目の色や気だるげな指のその先や諦観を装う顔
がふとした瞬間にみせる陰に。

「俺は皆守甲太郎のことが好きですもう一生放す気はありません」
   
 笑って欲しかった。
 ただ笑ってくれればそれでいいと思ってた。
 でもそれは。
 
「だから諦めて俺と一緒にいてください」 
「……阿呆か」
「な、なんですと!」

 一世一代の告白に対する皆守のこたえは心底呆れたような声だった。
 いくらなんでもそれはないだろうと、少しだけ身体を放して覗き込んだ顔は───目が座っていた。

(あ、あれ?)

「馬鹿ふざけんなこっちの台詞だ阿呆九龍てめぇ何様のつもりだぁあ?」
「え、ええーっと」
「何ヶ月も音信不通かと思えば八千穂経由なんて姑息な真似で呼び出しやがって」
「あ、いやそれは……」
「なにが『ひさしぶりー』だ気の抜け声に間抜けな面しやがって」
「あ、あの、」

 今まで大人しかったのはもしかして皆守の皮を被ったカレー星人!?と一瞬、明後日の方向に思考が飛びかける。
 八千穂に会ったのは本当に偶然なんだとか音信不通だったのはやっぱりちょっと最後のあれがどうにもならなくて、ほとんど八つ当たり気味に仕事ばっかりしてたからででもやっぱり忘れられなくて結局仕事に託つけて日本まで来たんだとか、でもそれは遺跡の崩壊のどさくさで逃げてきた自分の気持ちに決着をつける為で本当はちゃんと「さよなら」を言うつもりだったとか、でもお前の顔を見たらというかお前があんなこと言うからついうっかりぽろっと本音がでちゃったというか気づいたというか開き直ったというか。

 だって。

「しかもなんだ、何が、何が『俺がいなくても幸せでいて』?───ふざけんな。誰が、」

 こんな貌で。

「……ちくしょう」

 こんな声で。

「甲太郎……」

 全身で。

「好きなんだ」

(馬鹿だなぁ……)

「ごめんな」

(さよならなんか無理に決まってんだろう俺)

「好きなんだ」 

 濡れて額に張りついた前髪をかきわけ、そっと口付ける。

「ごめんな」
「……謝るな」

 瞼に。

「じゃあ好き」
「……じゃあってなんだ」

 頬に。

「大好き」
「……」

 唇に。

「───だから一緒にきて」

 触れても拳も蹴りもぶち込まれなかったのは、オーケーってことなのかなぁと思ってると、皆守がそっと離れて。
 途端に雨に熱を奪われた身体が寒さを訴える。
 けれどそれ以上に。
 さっきまで腕の中にあった温もりが離れたことの方が気になって。
 無意識に追った手が届かない数歩分の距離。
 そこから。

「……なにやってんだ」
「え?」
「帰るぞ」
「!」

 振り返るその貌にうっすらとのる色の淡さに。

「いくらお前が救いようのない馬鹿でもどうしようもない阿呆でもこのまま風邪でもひかれたら面倒だ」
「……」

 可愛くないけど可愛いとてもとても大切な人のその言葉に嬉しくなって、雨の中ぎゅっとその手を取る。

「甲太郎が風邪引いたら俺が責任もって面倒見るから!」
「当然だ───つーかどさくさに紛れてなにやってんだ」
「せっかく両思いになったんだからいいじゃん!」
「よくねぇ」

 そしてその手は、ふり解かれはしなかった。












『主皆de闇鍋』企画に投稿させていただいた品。
せっかくのおいしいお題が蓋を開けてみればいつもとかわらなかったという( ̄▽ ̄;) .......2007.10.27

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