其々の変遷













 毎年、秋になると天香学園の敷地内を多彩に賑わす落葉樹は既に葉を落としている。
 ここ数日の気温の変化はめまぐるしく、ほんの少し前まで心地よかった風も今は容赦なく人々の体温を奪っていく。
 園内の生徒たちも先月には衣替えを済ませ、今では厚手の冬服に身を包み通学している。
 目の前の生徒たちのように。
 今日も放課後のクラブ活動を終えた数名の生徒たちが足早に寮に向かって歩いていた。多分下級生であろうその団体は、噂話にでも夢中になって後片付けに手間取ったのだろうか。今も歩きながら会話が絶えない。
 その集団の背後を葉佩九龍も同じ方向にむかって歩いていた。
 度々建物の間を強風が吹きぬけ、前を歩く生徒たちの歩みを鈍らせる。その横を変わらぬ足取りで歩きながら葉佩は今朝のラジオが冬の訪れを知らせていたことを思いだす。自室に流れるリズミカルなトークと音楽の合間に慣れた口調で女性DJが今日一日の天気を語っていた。
 そういえば一部の地域で夕方から雪が降るとも言ってたっけ。
 そんなことを思い出しながら葉佩は先ほど受け取ったばかりの紙袋を片手に寮に戻る足取りを速めた。

 校舎から寮までの距離はたいして遠くはない。
 といっても陽が沈むのにさして時間はかからないので、葉佩が寮に向かったときには建物の合間から顔を覗かせていた太陽も今ではすっかり沈みきり今は夜の闇に支配され始めている。
 葉佩の行く先を示すようにぽつぽつと外灯が明かりを灯しはじめる。
 もう既にテニスコートにも中庭にも生徒の姿は殆んどなかった。先週からクラブ活動も冬時間に切り替わり、生徒たちは早めに寮に戻りその後外出する者はほとんどいなかった。たぶん先程追い越してきた集団が最後の生徒たちだろう。中庭を抜けて食堂を通り過ぎ、寮まであと少しという所で不意に葉佩の歩みが止まった。
 体育館のほうから風に乗って微かに流れてくる嗅ぎなれた香りが、その先に彼のいることを知らせていた。
 葉佩が香りを辿って体育館のほうへ足を向ける。生徒のいない園内は活気がなく閑散としていて静かだった。時折、寮のほうから賑やかな声は聞こえてくるが、葉佩が進む先は闇と静寂に包まれていた。
 体育館を通り過ぎて弓道場にさしかかった頃、やっと前方にその人の姿を見つけた。

「甲太郎、こんな時間にどこ行くの?」
「別に」

 クラスメートである皆守甲太郎の返事は、いつもと変わらない至って簡素なものだった。
 だがその時の葉佩はその返事が気に入らなかった。そして最近の彼の態度も。
 確かに普段から物事にあまり執着をみせない彼は人を寄せ付けない節があった。口数もあまり多い方ではない。だがここ数日の彼は他の生徒は気づかないほどさり気なくだが葉佩に対して特に距離を置いていた。
 葉佩は普段より幾分刺々しさを感じる口調のクラスメートにもう一度問いかける。

「甲太郎、最近僕に対して何か怒ってる?」
「いや」

 目の前を気だるそうに歩くクラスメートは振り返りもせず、咥えているパイプを吸いながらゆっくりと歩いて行く。その姿は確かにどこかぎこちなさを感じ、普段のものとは違っていた。だが相手はそれを素直に話す気はないらしい。

「ならいいんだけど」

 とりあえずその場はそう言って、葉佩は皆守の後ろを一緒に歩き始めた。


 ***


 暫く二人は一定の距離を保ったまま無言で歩いていた。
 用具室の角を曲がり中庭にさしかかった頃、やっと口を開いたのは前方を歩く皆守だった。
 苛立った口調で皆守が数歩後ろを歩く葉佩に問いかける。

「何処までついてくる気だ」
「甲太郎が部屋に戻るまで」
「俺はとーぶん戻らないぞ」
「いいよ。いつも僕の探索に付き合ってもらっているから。たまにはね」
「・・・・・・・・」

 何がたまにはだ。と皆守は内心毒づきながら葉佩をひと睨みしたが、それ以上の言葉は返せなかった。そのかわり皆守の大きな溜息が闇に白く形を成す。
 振り返ったそこに予想通りの笑顔があったからだ。いつもと変わらない笑顔。こんなこいつを素直で可愛いという奴もいるが、その可愛さは今の皆守には理解できない。皆守にとってこんな時のこいつは人の事なんかお構いなしで、笑顔を武器に自分の意思を押し通す我が儘な子供にしか見えなかった。
 例え今ここで独りになりたいと言っても素直にきいてくれるとは思えない。
 皆守は厚い雲に覆われて星ひとつ見えない夜空を見上げ、もう一度大きく息を吐いた。

 そう。別に怒っているわけじゃない。
 ないのだが。

 先週、約束していた俺とのランチをキャンセルしたからって。
 その日一日八千穂と二人で何かコソコソ企んでいたからって。

 別に俺には関係ない。

 ランチは翌日に一人で行ってきた。
 八千穂のことだってこいつが選んだことだ。
 俺との約束より大切な用事だったんだろう。

 ここ数日、自分をそう納得させようと何度もした。けれど。
 考える度に反動のように訳の分からない感情が沸々と湧き起こってきて暴れるのだ。
 葉佩と一緒にいるだけで、皆守の内側にある長く静寂を保っていた水面がひどく波立った。
 今日はそんな気持ちを沈めようと外に出てきたのに。

 原因が一緒についてくるのでは意味がない。

 暫く沈黙が続いた。
 葉佩は皆守の背後を相変わらず同じ歩調で歩いていた。そしてその視線を背中に感じながら皆守は地面を見つめて歩いていた。
 皆守の視界に小さな粉が舞い降りる。

「やっぱり降りだした」

 葉佩の言葉に少し顔を上げた皆守は、やっとその白い粉が雪だと気づいた。
 そして慣れた手つきで細かな装飾の入ったパイプを掴み咥えなおす。

「甲太郎、手袋は?」

 皆守が手袋をしていないことに今頃気づいた葉佩の問いに「必要ない」と即答してみたものの、長い時間パイプに添えていた左手は体温を失い悴んでいた。

「ほら、この手袋貸してあげる」

 そういって背後から差し出した皮製の手袋を「いらない」と皆守は押し返した。
 しばらく葉佩は哀しそうに押し返された手袋を眺めていたが、やがて何かを思いついたらしく再び「じゃーこうしよう」と悪戯を企む子供のような表情で前を歩く皆守と肩を並べ、冷たくなった左手を掴んで自分のコートのポケットに一緒に入れた。
 思いがけない行動に唖然とする皆守に「ほら、暖かいでしょ?」と笑う葉佩。
 咄嗟に引き抜こうとしたが、ポケットに入れられた手は強く握られていて抜けなかった。
 何を考えているんだ。こいつは。と、理解に苦しみながらも皆守はそれ以上の抵抗はしなかった。
 その行動に呆れながらも嬉しそうに並んで歩くこいつの体温をもう少し感じていたいと思ってしまった。
 こいつの性格は確かに人々に愛されるものかもしれない。少なくともこいつの言動は周囲に影響を与えた。それは皆守も例外ではない。たった数ヶ月の間、一緒に日常を過ごしているだけで刺激され、感化された。内側に常に新しい風を吹き込まれ、胸の奥底に蓄積されて濁っていた水が静かに流れ出すのを感じた。
 今だって握られている左手から伝わる温もりと一緒に、自分の中に溜まっていた蟠りが薄れる気がする。
 皆守は歩くことを忘れたかのようにジッとその場に佇んだ。
 自分が一般の生徒であれば。葉佩が転校生でなければ。
 今までそう何度も思い続けてきた。
 多分、葉佩は皆守のそんな心情など理解していないだろう。
 いや。理解できるはずがない。肝心なことは何も知らないのだから。

 しかしそう遠くはない未来、知ることになる。
 この居心地のいい場所を与えてくれるこいつの手を離さなければならない。
 こいつが作ってくれた俺の居場所を自分で壊すことになるだろう。

 心の中で今までと同じ結論に行き着いた頃、いやに大人しい皆守を心配そうに覗き込む葉佩の視線に気づいた。
 皆守は慌てて葉佩のポケットから手を引き抜き、幾分温まった手をパイプに添えなおした。
 そして「帰るぞ、九ちゃん」と言い残して寮に向かって歩みだした。
 寮への帰路を歩みながら皆守は心の中で呟いた。
 
 
 だったら最後まで一緒に。
 
 例え最後は俺自身の手で終わりを迎えようとも。
 
 最後まで一緒に歩みたい。

 と。



 ***


「甲太郎、あのね」
「あぁ?」
「部屋に帰ったら渡したい物があるんだ。この間の休みに八千穂と一緒に選んだんだけど、気にいるかな?」

 後半の方は独り言に近かった。
 持っていた紙袋を心配そうに覗きながら葉佩は聴きもしない八千穂との秘密をバラし、一人勝手に先週の経緯を話し始めた。

 その日、今まで散々皆守が悩んでいた事は案外あっさりと解決をむかえていた。



















葉佩さんとアロマ

























P*Life Plus』の紅月さまからいただいておりました。

アロマが可愛い。これにつきます。
そして葉佩さん一人称『僕』にくいつきました。『俺』も使うそうです。そして見た目ほど紳士ではないそうです。

間。

他所様の葉佩さんは格好いいなぁと思いつつ、最後になりましたがありがとうございました!

2007.02.01