アクロスザヘイブン小ネタsssライドウ篇


 この《世界》にきたことに後悔はないが。
 
『鳴海探偵事務所』

 と書かれたドアの前に若宮律は立っていた。
 その手には『アルバイト募集』というチラシが握られている。
 この《世界》にきた理由は一つだが今は静観する時だ。と、己を───自分たちに声をかけた男が言う事は理解できる。
 が、そうなると律にすることはない。
 首謀者である男は以前からこちらの《世界》に馴染みがあるらしく、はじめて来た律や暇だからついてきたと嘯く男達やいずれ目覚めるであろう《姫》の為の住処を維持する為に某かに携わっているようだし、あちらの世界でさえ好き勝手やっているように見えた二人組は『何でも屋』をやると言い出し、もう一人は「時が来たら呼べ」と言い残し姿を消した。
 外見も実年齢も一番若い律はこの《世界》ではまだ未成年ということらしく、できることが限られている。
 だからと言ってお目付役の黒猫と無為に過ごすのも、なにか、落ち着かず。
「これもまあ勉強だよね」とスーパーに食材を買いにいくという、はじめてのお使いの帰りの道で拾ってしまった紙切れを見て、ついここまで来てしまったのだが。
 
「うちに何か用?」
「!」

 入るか入るまいか。悩んでいたところに後ろからかかった声に、思わず振り返る。
 そこにいたのは。

「あ、それ、見てくれたんだ」

 癖だらけの髪に派手な柄のシャツ。淡い色のスラックスの下から覗く素足にサンダル。という、すこぶる胡乱な男が、律の手にある紙切れを見て破顔する。
 そのどこか無邪気な笑顔に───なぜか思考が止まって。
 
「いいよ」
「───は?」
「だから、採用」

 よろしく。
 と、言って差し出された手を取ったのは無意識だったが。

「……」
「……まー……ちょっと散らかってるけど」

 通された部屋の、主曰く“ちょっと”散らかっている部屋の有様に絶句して。

「───掃除機貸してください」
「……えっとごめん、ホウキくらいしかないや……」
「それでもいいです」
「ああうんあると思う、んだけど……」
「───わかりました。探します。そこでじっとしていてください」
「ごめんねー」
「いいえ」

 慣れてますから。
 とは言わずに黙々と部屋を片付けなんとか人の過ごせる空間にした頃にはとっぷりと日も暮れていて。

「君、いいお嫁さんなれるよねー」
「……」

 呑気にコーヒーを啜りながらにこにこと笑う男の顔を見て、

(───早計だったかもしれない)

 と、少しだけ後悔したのだが、これがまだ序の口であるということを律は知らなかった。



2006.07.04

おまけ

「え、バイト決めてきたの?」
「はい」
「はい───って、学校あるでしょ」
「学校?」
「うん。今は夏休みだから行かなくてもいいけど……って言ってなかったっけ、俺」
「……」

【clap】

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