「じゃあおやすみー」
と、言って九龍が背を向ける。
それをうっかりただ見送りかけて皆守は我にかえった。
(今の)
なんだ。
「ちょっと待て」
「え?」
「え、じゃない」
「何だ今の」
「何って……お休みのチュー」
「……」
チュー。
鼠か。と無駄にツッコミ魂が吠えかけたがそれこそ本当に無駄だと瞬時で切り捨て、意識を切り替える。
おやすみのちゅー。
つまり。
「皆守もしてくれんの!?」
何故か無駄にきらきらした目で九龍が火に油を注いだ。
しかもたっぷりと。
「ふざけんな」
地を這うような声音とともに腕を振り下ろす。
蹴りつけなかったのは単純に時間帯を考慮した結果で、派手な音を立てて余計な詮索なんぞされたらたまらないと思ったからだ。
断じて目の前で頭を抱えて痛みに涙目になってこちらを見上げている(身長は向こうの方が若干高い筈なのになぜ上目遣い)馬鹿のことを思い遣ったからではない。
「ふざけてないってば……あーそうか」
ポン。と手を打って、九龍が笑う。すでにそこには先ほどのダメージはみられない。
もっと強く、本気で殴ればよかったんだろうか。とつい不穏な考えに沈みかけていたので皆守は九龍のその笑みの種類までは気がつかなかった。
否。気づくのが遅かった。
「ほっぺじゃヤだったんだな」
(───え)
「じゃ、今度こそお休み───」
一瞬。
非常灯のぼんやりとした明かりの中で不意に動いた影の熱が。
熱を。
(今どこに)
「───甲太郎」
「まッ」
(あの腐れハンター)
ほんの少し停止した思考が動き出した時にはそのひょろ長い影もその持ち主も扉の向こうに消えていて。
(やり逃げかッ!)
怒鳴り込もうにも眠気と疲れが一気にきて───。
体力はもとより気力も根こそぎ奪われ(他にも何か大事なものを失ったような気がするがあえて考えないようにして)皆守は自室の扉を開け、着替えるのも面倒でそのままベッドに倒れ込み、目を閉じる。
(おぼえてろよ)
絶対。明日。カレーパン奢らせてやる。
と、あくまで皆守的には最良の選択を胸に硬く誓って眠りに落ちた。
普段の寝付きの悪さがまるで嘘のように。
翌日。
なぜか部屋の中にいた九龍に「おはようのちゅー」とやらをされて、今度こそその足を振り切ったのはまた別の話。
2005.11.07
こうやって甲太郎は慣らされていくんだと。
【clap】
・top
・novel
・home