Curiosity killed the cat


「うわっ」

 ひとつのことに集中すると、まわりのことが見えなくなるタチだから、すぐ足元に甲太郎がいて、何かを狙ってることに気づいたのは間一髪で。
 慌てて膝の上で読んでいた雑誌をよけると、そこに甲太郎が乗ってきた。
 青灰銀の毛皮に琥珀の瞳のしかも左耳にピアス(これは僕の趣味では断じてないのだが諸事情により外せないそうなのだ。勿論、似合うから異存はないのだが)それはもう見目だけはきれいでかわいい猫だ。
 これでも性格も可愛らしかったら完璧なのだろうが、猫が気まぐれなのは今に始まったことではなく。
 けれど甲太郎の気まぐれっぷりというか、我が侭っぷりというかとりあえず、甲太郎から接触してくることは極稀で。
 それが食事をねだるわけでもなく、お気に入りの(今座ってるソファだが)場所から退けと追い出す為でもなく、ただ僕の膝の上に座ってしかもさらにめずらしいことに真っ直ぐにこちらを見ているとなれば。

 頭に馬鹿とつけられても別にかまいはしない猫好きとしてはもうどうしたらいいのかわからない。
 わからないが、しあわせだ。
 だってあの甲太郎がだ。
 これはもしかして、あ、甘えてくれるんだろうか?
 さ、触っても怒られないんだろうか?
 と、そぉっと手を動かしたところで、

(うわぁ)

 小さく柔らかい感触が肩に置かれ、目の前に甲太郎の顔がきた。
 
(ななな何?)

 前足を僕の肩に置いて立ち上がるように銀色の毛皮が動いて、僕の顔を覗き込むように甲太郎の顔が近づいてくる。
 まだ大人になりきれていない、けれど美人(猫?)な顔がすぐ目の前にあって、触り心地の良さそうな(実際すこぶるいい)躯のラインを辿れば尻尾がぱたりと揺れる。
 僕は猫が好きだ。
 だから甲太郎も大好きだ。
 だからこんなかわいい顔が目の前にあって、しかも琥珀色の瞳がまっすぐにこちらを見つめていたりすると、もう、なんというか、ぎゅっとしてキスしたい。
 そういえば最近してないな。というかさせてもらえてないな。と思った瞬間、正直な体は少しだけ甲太郎に近づく。

(あれ?)

 いつもはこの辺りで逃げられる。あるいは爪で軽く引っ掻かれる。

(あれ?)

 けれど甲太郎は避けない。
 これはもしや千載一遇のラッキーチャンスファイナルアンサー!?と、思ったら。

 うに。

 と、何かが眼鏡のレンズに触れた。

 僕の右目。
 つまり甲太郎にとっては左側。

(えーっと、)

 爪を立てられないだけでもよかった。と思うべきなんだろうかと片方だけ近すぎてピンク色にぼやけた視界と、もう一方で、どこか不思議そうに、ぱたりと耳を動かした甲太郎を視界に収めたまま、思う。

 僕が仕事をしている時や本を読んでいる時に甲太郎がいることは極稀なのでめずらしかったのだろうか。
 薄いガラスをうにうにと押す甲太郎の仕草に、ならばこれからはずっと眼鏡をかけていようか。とうっかり考えかけたところで、視界が晴れた。
 満足したのか飽きたのか、眼鏡のレンズから前足を退けた甲太郎は───。 
 
「うわ、まって!」

 今度は口を開けて近づいてくる。
 それはつまり───。

「甲太郎!」

 これは食べ物じゃないし欲しいならあげるから!
 という、心の声が聴こえたわけではないのだろうが、実際はどこか上擦った声で甲太郎の名を呼ぶしかなかった僕のその声の大きさに驚いたのか、甲太郎はまた膝の上に座り直し。

「動くな」

 不機嫌そうな声でそう言った。
 
「こ、甲太郎……」
「最初っからこうすりゃよかったんだよな───」

 気だるげな声が頭の上から落ちてくる。
 膝が軽くなったかわりに、肩にわずかな重みを感じて見上げてみれば。
 僕の体を挟むように軽く、膝立ちになった甲太郎が───緩い曲線を描く茶色の髪に、薄い灰茶の瞳の、推定年齢10代後半の、誰がどう見ても成人男子が───僕を、正確には僕の眼鏡を、どこか楽しそうに見つめている。
 猫の時はあんなに可愛らしかったのに、人の姿をとった途端、なぜか太々しい表情が似合う、かわいげのない男になる甲太郎に最初はかなり落ち込んだものだが。
 というかいまだに甲太郎が、猫から人に、人から猫に、姿をかえる理由も仕組みもわからない(甲太郎に訊いても《猫》だから。の一言で終ってしまう)のだが、僕の大好きな猫の甲太郎は、あまりかわいくない(いやまあ10代の男が素でかわいらしかったらそれはそれで嫌だが)人の甲太郎にもなる。
 左耳のピアスのおかげで、猫から人に姿をかえた時に(当たり前と言えば当たり前なのだが)裸のまま。という問題だけは解決されたが(できれば最初から使って欲しかった便利アイテム)、本人の趣味なのかそういう仕様なのか、襟ぐりの大きく開いた、ゆるゆるのセーターとはどういう試練だろう。だからこういう体勢だと目の前に鎖骨(しかもどういうわけか、人の姿の甲太郎からは、甘い、花の香りがするのだ)
 何も後ろめたいことなどないのだが、理性を総動員してそこから視線を剥がし上を向けば、端整な甲太郎の顔。日に灼けていない首筋にかかる、銀色の毛皮とはまた違ったやわらかさに波打つ髪や、伏せられた瞳の淡い色。
 もとがあの甲太郎なんだから美人なのも当たり前か。いやまて男の顔に見惚れてどうする。僕が好きなのは猫の甲太郎。断じて、人の、しかも同性の男ではない。が、これも甲太郎であることにかわりはなく。そもそも猫でも人でも性格は変わっていないし。そう思うとこの甲太郎もそれなりにかわいく見えて───いやいやまてまてしっかりしろ。
 となぜか無駄に葛藤する日々も、日常となれば、慣れてしまう。流されてしまう。
 この傲岸不遜を絵に描いて色を塗ったような性格の男の耳で光る紫色の石や、ふと見せる仕草が猫の時と同じだったりするだけで。

 僕は猫が好きだ。
 僕が猫の甲太郎を好きだ。と言う分には、まわりも仕様がないな。と生暖かい目で見守ってくれる。
 けれど。
 僕がこの人の姿をした甲太郎を好きだ。と、言ったら、

「て、ちょ───」

 ぐらりと傾いた甲太郎を慌てて抱き寄せる。
 
「……なんだよこれ」
「何って……僕は少し目が悪いから、活字を読む時はこれをして視力を補ってるんだよ」

 身長のわりには軽いが僕にとってはそれでも重い。
 僕の膝の上に座り込んできた甲太郎の背中を宥める軽く叩いて、見た目より触り心地の良い髪の毛をそっと撫でる。
 肩に顔を埋めて何か唸っている甲太郎の左手には僕の眼鏡。
 
 こういう時だけ猫らしい俊敏さで僕の眼鏡を取り上げ、後先考えない好奇心から掛けてみた結果がこれだ。
 猫は目が余り良くないらしいのだが、甲太郎は猫の時も人の時も目がかなりいいらしく。
 伊達ならともかく軽く度の入ってる僕の眼鏡は甲太郎にとっては凶器以外の何ものでもなかったようで。
 とあることわざがちらりと思考をかすめる。

「甲太郎」
「なんだ」

 素っ気ない声。
 けれどそれも。

「キスしようか」
「!」

 驚いてというか身の危険を感じて離れようとした甲太郎の鼻先に軽く口付けを落とす。
 猫じゃないから湿ってないんだよなぁと暢気に浸りつつ、顔を真っ赤にして、ドタドタと音をたてて逃げ出した甲太郎の左手にはしっかりと眼鏡が握られたまま───。

(あれ?)

 僕は今何をした?



2006.01.19
葉佩さんそこはかとなく自覚篇?
というかネコ@アロマには『自業自得』とか『身から出た錆』とか『鴨ネギ』とかよく似合います。

【clap】


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