しあわせのなみだ


 ああ。夢だな。
 と、微睡みに身を委ねながら、葉佩は思う。
 
 やわらかい日差しが部屋の中に落ちて、鮮やかな緑と色とりどりの花が咲き誇り、どこまでも続く青い空の向こうから鳥達の歌が聞こえてる。
 そして。
 腕の中には愛おしい、人。

 癖のある髪は見た目の奔放さに反して、思いの外やわらかく、指通りがいい。
 その髪と同じ色の睫毛が白い肌に影を落とし、甘く低い声で悪態も睦言も同じように紡ぐ唇が穏やかな寝息を零す。

 委ねられた体温の暖かさと、薄い布越しに伝わる命の音に、つい口元が綻んで。
 それにつられるかのように、腕の中の半身が───甲太郎がゆるゆると目を覚ました。

「おはよう」
「…………おはよう」

 まだ寝ぼけているらしく、思いの外あどけない貌を見せる甲太郎が、眠気を振り払うように瞬いて。
 その顔に瞳に頬に唇に口付けたい衝動にかられた葉佩が上体を起こそうとした刹那───。

「───ッ!」

 不意に何かに気づいたように甲太郎が上体を起こし、

「甲太郎!?」
「───お前ッ!!」

 まだ寝そべっている葉佩を跨いでその襟を掴んだ。
 朝の挨拶にしてはどこか殺気立っているような気配に、葉佩が僅かに眉を潜めると、どこか驚愕に目を見張る甲太郎が───不意に、

「……おはようじゃねぇ」
「……あ」

 食いしばるような声音の響きと、こぼれ落ちる涙に、ようやく、葉佩は、これが、己が、───永い眠りから目醒めたことに気づく。

〈九龍!九龍ッ!!〉

 耳に残る半身の───ようやく手に入れたと思った愛おしい人の、血を吐くような慟哭に、

〈俺をッ───〉

 痛いほど強い雨の中、子供のように泣き叫ぶ甲太郎の体を、もう、自分は、

〈───俺をおいてひとりで逝くなッ!!〉

 抱きしめることも慰めることも暖めることもできないと、

「甲太郎!」

 思っていたのに。 

「……寝過ぎだ馬鹿」
「すまない。甲太郎。すまない。俺は───」
「……」
 
 あの時、動かない躯で薄れゆく意識でずっと抱きしめたいと思っていた体が、今、腕の中にある。その細さと薄くなった体に、己の過ちとそれ以上に愛おしさがこみ上げてきて。
 強く───その存在を確かめるように抱きしめる。
 服を掴んだままの手が、小刻みに震え、胸に額を押しつけ、何かを必死に堪える甲太郎の、やわらかい髪を、宥めるように、慈しむようにゆっくりと撫で、涙の滲む目尻に、震える睫毛に、頬に、嗚咽を漏らす唇についばむように口付ける。

「阿呆馬鹿お前なんか───……」
「好きだ」
「お前、なんか、」
「甲太郎」
「───……九、龍」
「もう離さない」

 徐々に熱を帯びてくる口付けの合間に、葉佩は精一杯の想いを込めて囁く。
 白い、かなしくなるほど白い肌を、首筋を、耳朶を、手首を、触れるだけの口付けにほんのりと朱色に染め、甲太郎がわずかに身じろぐ。

 真正面で見つめた灰色の瞳がやわらかく煌めいて。
 ───微笑う。

「当たり前だ」



2006.02.27
乙女アロマでもいいですか?

【clap】


・top
・9ron
・novel
・home