「お家の人は?」
「……しごと」
「ひとりで留守番?」

 こくん。
 と、頷いて小さな甲太郎は俺の膝の上で絵本のページをめくる。
 足が埋もれるようなふかふかの絨毯は直に座ってもケツが痛くない。
 想像はしていたが甲太郎の家は裕福だった。
 少なくとも傍目は。
 リビングにどんと置かれたツリーはおそらく甲太郎の為のものだ。
 その甲太郎自身は色取り取りのオーナメントできれいに飾られた(お手伝いさんと一緒に飾り付けはしたらしい。そうそう普段は両親が帰ってくるまでお手伝いさんがいるらしいのだが、今日はクリスマスということで早めに帰ったらしい。その分両親のどちらかが先に帰ってくる約束だったらしいのだが、見ての通り、不審人物がひとり堂々と紛れ込んでも誰も咎めないように、どちらもまだ帰ってきていない)ツリーより、少し早めのクリスマスプレゼントでもらった絵本の方に興味があるらしく。
 そうでなくてもリビングの一角は本で埋め尽くされている。
 この年から活字を読んでいれば将来、立派なポエマーになってもおかしくないかなぁと思いつつも、今小さな甲太郎が読んでいるのは100万回生きたて死んだ猫の話だ。というか誰のチョイスだ。と思わないでもないが、足元にはいもむしやら赤と青の服をきたねずみやらりんごの木の話の他にもいろいろ散らばっている。
 俺がガキのころはどうだったけ?少なくとも絵本はラクガキする為にあったよなぁと思いつつ、ふわふわの髪の毛を無意識に撫でる。
  
 なにかすっかり懐かれたようだが、その理由はわからない。
 大きな甲太郎と仲良くなるのにはそこそこの時間がかかっただけに。

(つーかあいつも小さかった頃は素直だったんだなー……)

 素直過ぎてかえって心配になるけど。

(まあ、學園にいた小さな甲太郎も素直ないい子だったけど)

 それがどうしてああなったのか。

「くろ?」
「ん?」
「くろは、どこからきたの?」
「……けっこう遠いところかなー」
「どんなところ?」
「……甲太郎のいるところとあんまりかわらないよ。ただカレーを粗末にすると怒るカレー星人がいてな。三食カレーを食べさせないとぼこぼこにされるんだ」
「……ぼこぼこ?」
「そー痛いぞー」
「……」
「い、いやでもカレーさえあれば大丈夫だから!カレーさえ食ってれば!!」
「……………………わかった、たべる」

(……あれ?)

 まさか毎日お前にボコられてるとは言えず、だからといって自分のライバルがカレーとは言えずにいたら何やら真面目な顔で小さな甲太郎が頷く。

(なんか俺、とんでもないことやっちゃったような気がするんだけど……まあいいか)

 そういえば、俺がこっちにいる間、向こうの甲太郎はどうしているのかなーと今更ながら思い出す。
 二人して遺跡に潜ってる時に起こった事故だから(つーか俺がトラップに引っかかって自爆したってのが正しいか)───。

(やばい。帰ったらほんとにボコボコにされる)

 心配はしてくれているだろう。
 ああ見えて心根はやさしい男だ。
 だが、ちょっと素直になれないだけで。

「くろ?」
「あ、や……なんでもない」

 腕の中の、小さな甲太郎と目が合う。
 できれば───今だけでも、この子を悲しませるようなことはしたくないんだけど。

(でもたぶん、俺は後少しで元の世界に戻る)

 ただのカンだけど。
 このままずっとここにはいられない。
 いてはいけない。

(だから)

 遅くまで仕事をしている両親。
 やさしいが限られた時間の中でしか一緒にいられない家政婦。
 そしてひとり、本を読む子供。

(でも)

「甲太郎は、さ……ひとりでさびしくない?」
「……ない」
「え?」
「ひとりじゃない」
「甲太郎?」
「くろがいる」
「……」
「いまは、くろがいる、から、さびしくない」
「そっか……」
「うん……」

 そう言って、とんと寄りかかってきた重みは、軽い。
 でも俺の手に重なる小さな手は、確かにあたたかいのだ。

(ああああちくしょう)

 とっとと帰って来いボケ親こんな健気なガキんちょ独りにすんなマジでかっさらうぞ。
 と、心の中でわりと本気で叫びつつベストのポケットを探る。

「手ぇ出せ甲太郎」
「?」

 素直に手の平を上にして出した甲太郎の手の上にそっと、鈍く光る小さなまるい石を置く。
 透明度の低い乳白色のそれは俺がこっちに来る前にいた遺跡で見つけたものだ。
 本来なら手に入れたものは協会で調べてもらうのだが。

(いいだろこんくらい)

「くろ」
「お礼」
「おれい?」
「そ、飯ありがとうごちそうさまっていう気持ち」
「……」
「それと、クリスマスプレゼント」
「……いいの?」
「ああ。サンタの爺さんじゃなくて悪いけどな」
「ありがと」
「どういたしまして」

 カレー以外のプレゼントをはじめて気に入ってもらえて俺もつい嬉しくなる。
 というかふわりとほころんだ笑みに脂下がっているというのが正しいのかもしれないが。
 すると甲太郎がポケットの中から何かを取り出し俺の手の上に乗せる。

「……あげる」
「俺に?」
「おれい」
「そっか……ありがとな」

 手の平の上の赤いセロファンに包まれた小さな飴玉に、自然と頬が緩む。
 俺の世界にほんの僅かな間だけいた小さな甲太郎はすでにその姿を取り戻したけど本人にその頃の記憶はないけど、俺は確かに覚えていて。
 元に戻ったことは単純に嬉しかったけど、でもきっと俺はあの小さな甲太郎にも、この甲太郎にも、たとえ今だけでもいいから俺のことを覚えていて欲しいんだと唐突に気づいて。

(まあ、忘れちゃうだろうけどな……)

 もしここが本当に過去で。
 この小さな甲太郎が俺の知っている皆守甲太郎の子供の頃だとしても。

「……そろそろ眠くなってきた?」
「……」

 ゆるゆると、横に振られた頭が静かに胸に当たる。
 時計は20時を回る頃だが、大きくなっても暇さえあれば眠っていた男だ。それに子供の仕事は眠ることだと思えば。
 
「甲太郎が寝るまでちゃんと傍にいるよ」
「……」
「そろそろ家の人も帰ってくる頃だろ?」
「……」
「甲太郎」
「……」
「ごめんな……一緒にいてやれなくて」

 だんだん傾いてくる頭を撫で俺の服を掴む小さな手をそっと包むと、俺の手の下でぎゅっと握り込まれる。
 けれど口に出しては何も、本当に言いたいことは何も言わないのは大きくても小さくても変わらなくて。
 そのことに。
 
「今度会う時は───会ったら、ずっとずっと、傍にいるから」
「……」
「───……たとえ甲太郎が嫌だって言っても駄目だって言ってもずっとずっと一緒にいるから」
「…………いわない。……………………いやじゃない」
「そっか、ありがとな。じゃあ約束───」
「……」

 寄りかかる重みが増して、俺の服を掴んでいた手から力が抜ける。
 最後の言葉が聞こえたかどうかはわからないけど。
 
「またな、甲太郎」

 眠る甲太郎の片手にはあの石がある。
 俺のポケットにも小さな飴玉がある。
 それだけで。


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